家庭内のゴタゴタなどで精神が不安定に

合格してから、学校が子どもにとってはレベルが高すぎたのではないかと心配する方がいます。入学後に授業についていかれないのではないか、成績順位が最下位に近くなってしまうのではないか、落ちこぼれてしまうのではないかと心配されるのです。けれども、入試というのは、学校が自分の学校の生徒としてその受験生を受け入れられるかどうかを見るものです。受かるということは、当然そのラインに達していると学校側が判断したということです。受験とは、「まぐれで落ちることはあっても、まぐれで受からない」ものなのです。ですから合格したということは、その学校の生徒としてやっていける実力はあるということでもいたずらに心配をする必要はありません。ただし、どんな学校でも落ちこぼれる子は必ず出ます。それは、大学受験勉強で燃え尽きて入学してから勉強への意欲が湧かないケース、ゲームや携帯などにはまって勉強がおろそかになるケース、家庭内のゴタゴタなどで精神が不安定になって勉強が手につかくなってしまうケースなど、いろいろです。

愛情を持って厳しく子どもを育てる

スパルタ方式は、愛情を持って厳しく子どもを育てるものだと思っている人がいるが、それはとんでもない間違いである。子どもの人格を無視した教育のことを指していると考えてよい。問題がわからながったり、テストで少しでも悪い点をとれば、厳しくしかるだけでなく、竹刀でおしりをたたくような個別指導塾がある。このような塾の子どもはテストの点だけが気になり、講師の顔色をうかがうことにエネルギーをさき、落ち着いて勉強できなくなってしまう。塾の講師の言う通りにしないと、またしかられると思う生徒は、しかられないように表面だけをとりつくろうことになり、じっくり問題に取り組めなくなってしまう。人間というのは、「なぜそうなるのか」という疑問を持だなければ進歩しないのと同じように、「なぜこの問題はこのように解くのか」を考えない子どもは、学習面でも成績の向上は望めない。

英語はきわめて習得しにくい言語

日本人にとって英語はきわめて習得しにくい言語である。中学・高校で文法・読解をやらされたが、さっぱり使えるようにならないとはよく聞く批判だが、中学・高校程度の学習で使える英語を身につけようというのが、どだい無理な話なのだ。別に文法や読解を学ぶことが悪いわけじゃない。日本語と英語がかけ離れた言語である以上、日本人にとっての英語学習は、音楽や運動の技術の修練と何ら変わらない。まずは基礎的なトレーニングを積んで決まった型を覚え、それが体に染み付いてからようやく自分の個性を出していくのである。英語学習がほかの技芸と異なる点があるとすれば、それは、人間の世界認識や意思疎通の重要な道具たる母語の習得と抵触するということであろう。音楽や運動の修練であれば、早期教育もそれなりの効果を生む。だが、英語の早期教育の度が過ぎると、母語の習得に支障を来す。極端な話が、津田梅子のように、逆に英語が母語となって日本語が話せなくなったりする。そんな教育では本末転倒だ。
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